好きでした、新山千春

 松山千春氏の言葉に、こういうものがある。

「女ってのは、99%優しくて1%冷たいと逃げるけど
 99%冷たくて1%優しい男にはついて行こうって思うんだよな!!」


 一見不合理なことを言っているように見えるが、実際、これはなかなかに鋭い洞察なのではないだろうか。何も恋愛に限らず、人間関係全てにおいて。

 
 確かに、普段から誠実で誰にでも優しい人が、ふと冷たい一面を覗かせたとき、周囲には、そちらの方のインパクトが強く映るかもしれない。逆に、普段は冷たそうな人が、ふと優しい一面を見せると、その優しさが強く印象付けられるだろう。「冷たい」とは少し違うかもしれないが、ヤンキーが気まぐれで「褒められるようなこと」をしたときに、やたらとチヤホヤされるのも、同じような心理かもしれない。


 なぜこういうことが起こるのだろう。私なりに原因を二つ考察してみた。

 1つは、単純に、その人の、普段見慣れているのとは違う面を見たときの、衝撃の大きさによるところ、というのがあると思う。

 もう1つの考察を説明する。
 人というものは、きっと、誰しも、根底ではこう考えている。『自分が知覚している、他人の性格やふるまいというものは、ある程度、他の人との接触を意識して「作られたもの」である』と。だから、ふとした瞬間に垣間見る、普段は見慣れない一面こそ、その人が油断した隙にポロっと出してしまった、「素の部分」なのではないかと、本能的に感じてしまうのではないだろうか。


 この考察が正しいという証拠はどこにもないし、そもそも、個々人の中でも、何が素で、何が作りものなのかさえ、きっとはっきりしないものだろう。


 何はともあれ、私が一番言いたいことはこのことである。

「思いやりをもって、冷たい一面だって受け止められる人になろう」

 人間はコンピュータではない。常に完璧ではいられない。ときには色々な悩みに押しつぶされそうになったり、全てのことに気を回し切れなくなるときだってあるだろう。そんな余裕のないときに、ふと周りに対してとってしまう行動が、場合によっては、周囲からは「冷たい」と捉えられてしまうのかもしれない。

 そんなときにも、周りが少しの思いやりを持って、その人のそんな一面だって受け入れることができたら、それが一番、お互いにとって幸せなことではないだろうか。

 何も、全て甘んじて受け入れなければいけない、ということではない。ただ、「やっぱり、冷たい人なんだ」と、バッサリ判断してしまう前に、「向こうもしんどいんだろうな」「自分にだってこういうときもあるよな」と、少し考えてみるステップを持ったり、相手と落ち着いて対話してみようとするくらいの、それこそ「優しさ」を持っていたいものである。