食券乱用

 
 僕は、食券を先に購入するタイプの飲食店、言い換えれば、前払い方式の飲食店が好きである。

 理由は二つある。


 一つ目は、食べた後に、「会計」というステップを踏まず、そのまま店を出られる、ということである。

 たかだか数十秒で終わる程度の会計が、そこまで面倒なわけでもない。しかし、店員さんを呼び、レジの前で、金額を読み上げてもらったり、小銭を探したり、という一連のステップを踏むことに、非常に些細ながらも、ストレスを感じてしまうのは私だけだろうか。やはり人間である以上、他者と対面でコミュニケーションを行うのに、心の負担を一切伴わせないことは、なかなか難しいと思うのである。食後に会計を控えていると、食事中、心のほんの片隅で、後に行われる店員さんとのやりとりのことが気にかかってしまう。

 食券システムの場合も、最初に店員さんとのやりとりはある。しかし、食事中の幸せタイムにおいては、「食後のやりとりへの小さなストレス」から解放され、心おきなく食事に没頭できるのである。
 

 二つ目は、「これからくる幸せに対してお金を払う、ということへの納得感」が挙げられる。
 
 空腹で飲食店にやってきたとき、誰しも、これからやってくるお食事タイムにワクワクしているものである。今から旨い飯を食えて、この空腹感を満たせるのなら、対価を支払うことは厭わない!という気持ちになるものだ。だからルンルン気分で食券を買える。

 しかし、食後、特に、腹いっぱいで苦しくなるまで食べてしまったときなどは、もう周りの客が食っている飯を見るだけで、気分が悪くなることだろう。そんな気分のときに、その「見たくもない飯」を食ったことへの対価を支払わなければならないとなると、とても損をした気持ちになるのである。もちろん実際に損をしているわけではないのだが、気持ちの面ではそうなってしまう。

 少し話が逸れるが、よく、食べ放題のお店に行ったときに、「いっぱい食べて元を取ろう」という人がいる。美味しく食べながら「元を取れる」ならいいのだが、無理に食べることによって苦しい思いをして、それで「元を取った」ことになるのかは、甚だ疑問だ。さらには、ぜいにくの「元」も摂取してしまう、という、悪いおまけも付いてくる。

 僕は以前から、このような比喩を考えている。「食べ放題で苦しみながら元を取ろうとするのは、どこまで乗っても200円の市バスで、無意味に、目的地より遠くの駅まで乗ろうとするようなものだ」


 話を戻して、まとめる。
 以上2つの理由から、僕は食券システムの飲食店が好きなのである。吉○屋を低迷から救う希望もきっとここにあるのである!違うかな!
 
 
 
 
 
 話は代わって、ここからはお礼を申し上げたいと思います。

 「1/100 micro pictures」さんというバンドが、御自身のホームページのリンク集に、このブログを掲載してくださっております。本当にありがとうございます。ブログの紹介文を読ませていただいて、あまりに的を射た説明の仕方に、「これ書いてくれた人がこのブログ書いた方がいいんじゃねぇの」と思ってしまいました。敬礼。

 残念ながらこのブログではリンク集のようなものは作れないようなので、果たして意味があるのかは分かりませんが、この記事に1/100さんのホームページのアドレスを掲載させていただくという形で、ささやかながらお礼に代えさせていただきたいと思います。


 http://1100micropictures.jimdo.com/

 ↑神戸を中心に活動中の変化球ロックバンド、1/100 micro picturesさんのHPです。モットーは「楽しければ何でもありでしょ。」、だそうです。ライヴは一度だけ拝見させていただいたのですが、何というかもう、圧巻でしたね。演奏している本人達が誰よりも楽しそうで、もうあそこまでやられては、見ている側も楽しまざるを得ない。

 我ながら何と言う幼稚な説明だろう。本当にすみません。はるくんへ。パス教えるので僕の代わりにこのブログ書きませんか。