試験の目的

 
 年末、実家に帰ると、自動車教習所の筆記試験に落ちたらしい妹(高3)が、再試験のための勉強をしていた。

 模試を解き終わり、答え合わせをしてから、何やら憤慨している妹。
 話を聞くと、解答に納得のいかない問題があったらしい。「何でこれの答えが『×』なのか分からない」とのたまっている。
 問題を読んでみた。


 【○×問題】緊急の場合以外は、自動車免許を持っていない人が、1人で自動車を運転することは許されない。

 【正解】×


 賢明な方はすぐに分かったと思うが、この問題文の間違っている所は、「運転することは許されない」ではなく、「緊急の場合以外は」の部分である。緊急の場合だとか関係なく、免許を持ってない人は運転できません、だから正解は『×』。そういう問題である。妹にそれを説明すると、問題の意地の悪さに、またも憤慨していた。

 確かに、落ち着いて考えれば、問題文の間違いに気付く所だが、うっかりしていると引っ掛かってしまう。出題者としては、引っ掛からないように注意して解きなさい、ということなのかもしれない。しかし、僕は思う。果たしてこの出題は、自動車試験の本来の目的に沿っているのだろうか?

 自動車試験(筆記)の目的は、自動車を安全に運転するに相応しい知識が身に付いているかどうか、判断するための試験であるはずである。義務教育の過程の中間テストではないのだから、日本語能力を問う試験ではない。
 故に、上記の問題は、「無免許運転は例外無くNGだよ」ということを理解しているか、それを判別するためのものであるはずだ。しかし、この出題方法では、ちゃんと理解できている人まで、ややこしい言い回しに引っ掛けられて、クリアできない可能性がある。それは、試験の目的に沿わない、本末転倒なものになっていないか。「いかなる場合でも、無免許運転をしてはいけない→○」という出題にすればそれで済む話だし、そちらの方が、本来の試験の目的に合致している気がする。


 問題の出題者は、もう一度、自分のやっていることの目的を認識し直して、主旨に沿った出題をすべきである。