セミ

セミの死体が転がり始めた。今年もこの季節がやってきたのか。つい先日、耳にこびりつくような「ジ〜〜〜〜」という音が頭上から降り注ぐのを感じて、「もうセミが鳴く季節か」と思った所だったのに、もう早くも、セミが死ぬ季節のようである。まぁ、地上に出てからの彼らの寿命は1〜2週間程らしいので、「鳴き始め」と「死に始め」に、大きなインターバルがないのは当然であるが。


夏場、外を歩くときは、何か深刻な悩みに苛まれていようとも、汗で蒸れた肛門がかゆくてウズウズしていようとも、「あること」を常に頭の片隅に置いておかなければならない。それは、「セミの死体を踏まないように気を付けること」である。この季節、カラカラに干からびた彼らの死体は、道端のそこら中に、マインスイーパみたいに転がっている。それを踏んでしまったときの、「ざしゅっ」という乾いた音、振り返って下を見たときにそこにある、水気を失った元生き物の無残な姿。足の裏に微かに残る感覚。私はあの感覚を思いだすだけで尿道がキュッとしまるような感じに襲われる。底の浅いサンダルなんかで踏んでしまったときにはもう最悪だ。だから夏に外出するときはいつも、意識を足下にやっている。たまに「ざくっ」としたものを踏んでしまって、「やばい!」と思って見てみたときに、それがただの乾いた葉っぱだったりして、ひとり胸を撫で下ろしたりしているのである。


ところで先日、明らかに誰かに踏まれた後のセミの死体、それもセミの「幼虫」の死体を、コンビニの前の道端で見つけた。幼虫なので、死んでから踏まれたとは考えにくい。「踏まれた」ことによって死んでしまったのである。
恐らく彼は、7年にも及ぶ地中での幼虫生活の中で、動きづらい空間に耐え忍びながら、地上に出てからの優雅な生活を夢想していたことだろう。自由に空を飛びまわったり、たまにひっくり返って起き上がれないフリをしてみたり、異性のセミと交尾三昧の日々を送ったりなどをいうことを、きっと夢見ていたはずである。そんな虹色桃色な夢をたわわに膨らませて、ようよう地上に這い上がって見たところ、まだ飛べる姿にもならぬうちにあっさり潰されてその生涯を閉じてしまった、彼の無念さ、まさに筆舌に尽くしがたいものだろう。謹んでご冥福をお祈りいたします。